Scene1 

「思い出を捨てないで」

小学校2年生になった息子がまっすぐなまなざしで私をみつめる。
もう使わなくなった積み木のおもちゃ。
いつかの夏に、砂浜で拾ったガラスのかけら。
クスリ屋のおまけでもらったビニール製の小さな人形。
私にとっては意味をなくしたモノトーンの物質。
彼にとっては鮮やかな色彩を放つ記憶。
捨てても思い出はなくならないよ
と、言いかけて口をつぐむ。
ある有名な詩人が読んだ。

「透明な過去の駅で遺失物係の前に立ったら僕は余計にかなしくなつてしまつた」

幼いころの漠然とした大きなかなしみを、
この子もきっとこの小さな胸に持っているのだ。

 

Scene2 

 

レコードを捨てた。若いころ、熱量で集めたレコード。
段ボールに詰めてクローゼットの奥にしまい込んでいたレコードを、
今日、僕は捨てた。

聴く機会を、機械を、文字通り無くして。
電子頭脳が傾向を読んで、流れてくるプレイリストに任せるようになったのは、
いつの頃だったろう。
クラブで綺麗な女の人が自分の選んだ曲に身体を任せるのを見つめたあの夜は、
初めてのDJブースで選曲を渋いねと言ってくれたあの人は、
一体どこへいったのだろう。

僕が置いてきたものは何だったのだろう。

僕が捨てたものは何だったのだろう。

Scene3 

忘れられた街の記憶。
北陸の、海に近い街を久しぶりに歩いた。
自分が数十年前に捨てた場所。
新幹線が数年後に開通するこの街は、
高速道路の出口近くから、大きな麒麟のような重機が何体も姿を現す。
山を崩し、土を運び、新しい電車の通る道をつくる。
海の近くには巨大なエネルギィを生み出す発電所。
新しい駅舎。
長い商店街。
様々なモニュメント。

大きな幹線道路沿いに紅い鳥居が現れる。
鎮守の森が申し訳程度に残る。
商店街の町名が、神社が昔からこの地を預かってきたことを教えてくれる。
明治生まれの祖父に手を引かれ、境内の池の鯉に餌をあげた幼き日。
この街は、何を忘れ、何を選んでいくのだろう? そして思い出していくのだろう。
風を感じ、ゆっくりと振り返る。
時の流れが入り混じる鳥居の奥に
薄緑の若木をみた。

 

 

 

文/牛久保星子・佐藤実紀代

写真/野田恭平