
photo by Rui Izuchi
「糺(ただす)」という字は、日常生活ではほとんど見かけない珍しい文字である。糸偏に「攸」を組み合わせたこの漢字は、本来「糸をより合わせる」「もつれを整える」といった意味を持ち、転じて「正す」「筋を通す」という意味を帯びるようになった。つまり糺とは、乱れを整え、真実をただすという精神を象徴する言葉なのである。
日本各地には、この「糺」を名にいただく町がいくつか存在する。もっとも知られているのは福井県鯖江市の「糺町(ただすちょう)」だろう。ここは江戸時代には「糺村」と呼ばれていた土地で、村の成立はさらに古くにさかのぼる。伝承によれば、南北朝の動乱期に後醍醐天皇の皇子・護良親王が越前に逗留した際、糺の地から神を移して福井市清水地区の甑谷に祀ったとされる。その神を「糺明神」と呼んだことから、地名に「糺」の字が残ったと伝えられている。糺明神は「真実をただす神」として崇敬され、以来この地の精神的な拠り所となった。
京都にも「糺」の名は色濃く残る。下鴨神社の「糺の森(ただすのもり)」はその代表で、賀茂川と高野川が合流する聖域に広がる森である。ここは古代から「真実をただす森」と呼ばれ、神々に祈りを捧げる浄域とされた。さらに京都市左京区には「松ケ崎糺田町」(まつがさき ただすだちょう)という難読地名も残っている。「糺田」という名からは、古来より祭祀や神事と関わりの深い土地であったことが想像される。
一方、四国にも「糺町」の名がある。高知県須崎市には「西糺町」「東糺町」があり、ここでも「糺」の字が町名として息づいている。その由来には諸説あるが、京都・下鴨神社の信仰とのつながりを示す史料も残っており、都から伝わった神名や地名が地方に根づいた例と考えられる。
こうして見てみると、「糺」の名を持つ町はいずれも、単なる偶然ではなく「清め」「正しさ」「神聖」といった価値観を背景にしていることが分かる。糺という一字には、古代から現代にいたるまで日本人が大切にしてきた「ものごとを正す」「秩序を整える」という精神が込められているのだ。
普段、住所として口にする町名の中には、このように歴史や信仰を映した言葉が潜んでいる。糺町、糺田町、糺の森…。それぞれの地名は、地域の人々が大切にしてきた祈りや願いの結晶であり、文化の記憶装置でもある。珍しい字の町名をきっかけに、私たちが暮らす土地の背景に思いを馳せてみると、いつもとは違う風景が立ち上がってくるだろう。


